ウィーン格安音楽の旅(1)

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 なぜかここ三・四年ヨーロッパづいており、年に二回ウィーンに出掛けている。 本場の音楽を楽しみたいというのが建前だが、最近は海外にでも出掛けないと夫と妻との対話がないというのが本音。 お互い適当に理解し合い、そこそこ仲は良いと思うのだが結婚三十数年たった夫婦なんて、どこでも似たようなものかも知れない。 異国に出掛け、空港・ホテル・駅・劇場・レストラン等での手続き、やりとり等、日本では何でもないことを二人で力を合わせて やることに意義を見つけだし、お互いの存在を確認するわけである。
 亭主はまだ勤めがあり、毎朝早く出勤する。専業主婦は亭主を送り出してしまえば、あとは終日自分の世界。ゆったり朝食を済ませパソコンの前に ドカーンと座り込み、HIS始め旅行会社のヨーロッパ行きチケット販売状況を、片っ端からきめ細かく検索する。
 半年くらい前から期日を指定して発売する格安航空券もあり、現地のオペラ・コンサートのプログラムと出発日のタイミングさえ合えば、 超格安で本場ヨーロッパの音楽が楽しめる。ただし飛行機については、何処を経由する、 どの航空会社になるかは出発の直前まで分からないし、キャンセル・変更は勿論不可能というリスクを背負う旅である。
 格安チケットを確保したら、次の作業はホテルの手配。ウィーンの街のほぼ真ん中、シュテファン寺院に隣接して気に入った宿がある。 若干手狭で古く、部屋数が少ないがどこに出掛けるにも足の便が良く、立地の割に料金も良心的で大変気に入って定宿としている。
 航空券とホテル、そして演目が決まってチケットが手配できれば、あとは日常業務のスケジュール調整だけ。 思い当たることは全て引き継ぎし、いよいよスタート。
 格安チケットというひがみか、乗り継ぎのトラブルも結構ある。コペンハーゲンではダブルブッキング、アムステルダムでは濃霧で 乗り継ぎ便が飛び立たず7時間待ち、また帰路はローカル便の出発・到着が遅れ、乗り継ぎの成田便目指して全力疾走し、 我々はかろうじて間に合ったがスーツケースが乗り遅れてしまったこともあった。正規料金の1/5~1/10で行くのだから 仕方がないといえばそれまで。気力、体力の続く限り、エコノミーで十数時間の飛行に耐え、まず回数を稼ごうと思っている。
 二十時間近い長旅でヘトヘトになって到着しても、時差ボケになっているひまもなく翌朝から活動開始である。 ホテルレストランのオープンを待って、7時には朝食をとる。決して贅沢ではないが、肉も野菜も充分用意されている。 日本では普段小食の方だが、昼抜きでも頑張れる様、この時ばかりと、時間を掛けてしっかり詰め込む。
 春から初夏に掛けてのヨーロッパは、一年で一番良い季節だ。その時期には郊外のトレッキングなどに繰り出す。 また秋から冬にかけては急速に冷え込むので、市内の教会・美術館・博物館巡りをして日中は過ごすことになる。 その日の天候・二人の体調にあわせ、目的地・スケジュールを気楽に選べるのも、ツアーでは味わえない二人旅のよいところだと思う。
 陽が落ちていよいよ目的のオペラに向かって御出陣。事前にチケットが確保できていれば問題なく、午後8時の開演直前に オペラ座へ向かえばよいのだが、希望の演目が日本で手配できなかった場合、売れ残りのチケットを探してみるのがまず第一。 オペラ座1Fのチケット売場に寄ってみると、思いがけず残っていることがある。
 ある時「セビリアの理髪師」のチケットが手に入らず、駄目もとで売場に寄ってみたら、最後の二枚があると言う。 舞台に一番近い4Fのガレリーで同番号のRとL。女房とオーケストラピットを挟んで向かい合い、別々に観ることになった。 私がRで女房がL。直近のため、舞台の1/3は欠けて見えない。向かいの女房と、お互い見える部分と見えない部分が逆転しており、 後で二人の話をつなぎ合わせれば舞台全部が見えたことになるじゃないか、というプラス思考で、別れ別れで観たことがあった。 またオーケストラピットを直上から覗き込んだことにも新たな発見があった。通常のコンサートのように常時正面から 見つめられていない楽団員は、結構いい加減なことをやっている。 (続く)

(初出:ナナカマド短信21号/2006年4月2日)

ウィーン格安音楽の旅(2)

 売れ残りのチケットも確保できなかった場合、いよいよ当日売りの立ち見席に並ばなければならない。その日の出し物の人気によっても違うが、オペラ座の西側の壁に沿って夕方5時頃か、場合によってはその大分前から立ち見席を求める人達の列が出来始める。長い列になったのを見はからってか、時間がきちんと決まっているのかは分からないが、6時頃になると係員が我々を館内に案内し、再び通路に並び直す。オペラ座の立ち見席は上下階合わせて五百数十席しかないので、この時点で定員を超えた人達にはお引き取り願うことになる。ゲルマン民族特有の律儀さか、割り込み等列を乱すことは係員から厳しく咎められるので、折りたたみ椅子持参の人も含め、皆整然と並んで待っている。
 7時頃になって、やっと当日券の売場へ列ごと移動。チケットを求めると、階上のガレリー・バルコン(2.0ユーロ:約300円)か、1Fパルテレ(3.5ユーロ:約500円)に分かれて所定の場所に着くことになる。我々の目指すパルテレは、舞台正面S席・A席の後方、立ち席ということを別にすれば、とても見やすい場所である。立ち席の前にバーがあり、先着順に自分が確保した場所のバーにハンカチ・スカーフ等巻き付け、自分の席だよ、と表示する。そこまできたら一安心。5時前に外に並び始めてから3時間近く経って、やっとこの夜の自分の席が確保できたことになる。開演までの僅かな時間、オペラ座から出て外で簡単な食事をとったり、ホテルに戻って着替える位はできるが、最近はこの暗黙のルールをわきまえぬ不心得者がいて、戻ってきたら自分のハンカチが他人のものに変わっていた、というトラブルもあるように聞く。
 体力に自信のある若者ならいざ知らず、事前の席確保に加え、3時間近い公演を立ち席で最後まで観るのは、かなりこたえる。どうしても立ってでも観たいという時は、昼の行動は控え、少なくとも午後はオペラに備えて待機・休養する必要があるのではなかろうか。
 コンサートも同じようなものだが、楽友協会では立ち席も前売りで定員分だけ発行するので、会場の外に並ぶことはない。ただウィーンフィルの定期公演は立ち見も含め、まず手に入らないと思った方がよい。ましてニューイヤーコンサートに至っては、チケットは超高額のツアーか、外交官ルート以外に確保するのは無理と聞く。それにしては元旦のTV生中継に、日本人聴衆が随分写っているようだが・・・・。
 オペラ・コンサートが終わった後の一杯を何よりの楽しみにしている飲兵衛の私。カフェやケラーに直行し、今聴いてきた音楽を思い出しながらワインを一杯やりたいのだが、公演が終わるのは大体11時(日本の常識から開演も終演も1時間遅れ)を過ぎる。翌日の行動を考えると、女房に追い立てられそのままホテルに戻って休むことになるのだが、それがいつも残念でならない。
 一週間から十日の旅で、連夜のオペラ・コンサート鑑賞はかなりきつい。せめてウィーンの裏通りの居酒屋巡りと劇場通いを、一日おきくらいに計画するのが丁度よいのではないだろうか。
以上述べたのは、我々の限られた体験に過ぎないが、工夫次第で本場の音楽を安く楽しむ手はいろいろありそうだ。今年はモーツァルト生誕250周年であり、モーツァルト大好きな日本人で、ウィーンもザルツブルグも大賑わいだと思う。ホットな情報を交換し合って、格安音楽の旅をしようではありませんか。        (完)

(初出:ナナカマド短信22号/2006年7月9日)


料理とフルート 前編

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 昨年秋、通っている料理教室の広報担当者から連絡があり、「私がお料理教室に入った理由」というテーマで取材し、記事を十二月号の協会会報に載せたいと言う。全国的なネットワークを持ち、十八の教室と会員数五万人を超える大きな財団法人の料理教室の中で、何故私が選び出されたのか判らないが、恐らく「変なおじさんが十年近く池袋の教室に通っているけど、そろそろシリーズものに載せてみたら・・・・」位のことなのだろう。改めて料理を始めたきっかけ、料理教室に入った理由を思い出してみた。
 人生八十年としても、我々ごく普通のサラリーマンは定年後の二十年を、ボケずに生きていかなければならない。自分‐仕事=??(自分から仕事を取ったら何が残るか)の答えが出せず、いざその時になって「さてどうしましょう」と途方に暮れている先輩を、身近に何人も見てきた。また退職して自由な時間が出来たのに、現役時代と同じ定期を女房から買い与えられ、毎日決まった時間に家から送り出されて、勤め先のあった都心に向かう亭主もいるように聞く。女房にしてみれば多少金は掛かっても、鬱陶しくなくストレスが解消されるのだろうが、同じ亭主族から見ればちょっと悲しい。その時になって女房に放り出されることのないよう、また何をするか迷わないためにも、好奇心が失せぬ内に人生設計の準備をしておかねばと、十年ほど前から手当たり次第やり残した面白そうなものに取り組み始めた。残る人生愉しく生きる準備のためである。かじってみて自分に合わなければやめれば良いのだからと、余り深刻に考えずにいろいろ取り組んだ様な気がする。
 その頃新たに始めて今も続いているのが、俳句、野菜作り、寺の法話の会、ウィーン行き、そして料理である。つまり早めの人生設計に組み込まれたテーマのひとつが料理であり、それをマスターするための料理教室だったわけだ。
 たまたま小中同級の友人の奥方がその協会の幹部だったので、紹介され教室に参加。今でこそはやりの「六十歳からのおじさんコース」も当時はなかったので、平日の夜、勤め帰りのOLさんの中に男一人混じって、月一度の教室通いが始まった。最初は若い娘に、「このおじさん何なのよ」というような目つきで見られた。しかし普段は引っ込み思案で内気なタイプだが、こと相手が若い娘だとすんなり溶け込める先天的な資質を持っている上、皿洗いも片付けも一生懸命やったことで好感を持たれたのか、取りあえず順調にスタートできた。
 偶然組んだ三人(一卓四人で八卓三十二人が一クラス)の娘さんが、今時めずらしく気だてのよいお嬢様で、結婚して子供が出来るまでは一緒にやりましょうと言ってくれた。以後三年ほどは、同じグループのまま共に次のクラスに進み、教室の外でも飲み会をするほど気が合う仲間となった。会の名前も「だし巻き卵の会」と命名。習った料理の中で一番気に入ったのが、期せずして全員だし巻き卵だったのだ。
 和風の基本料理、洋風・中華風の基本料理、おそうざい、中華料理、母さんの味、おもてなし、野菜料理、家庭料理各コースを経て、現在野菜料理(パート?)コースで修行中。
 他の料理教室のことは知らないが、非常に良心的で、食材の鮮度の見分け方、調味料の分量(教室で習うのは四人前だが、お客さんで倍量作る時、この料理なら調味料は倍より少な目など)、食材の代用(チンゲン菜がない時は小松菜、高菜でも可など)、その他諸々行き届いた指導をしてくれる。農園で新鮮な野菜がどんどん採れる時期には、このあたりの指導が結構役立つ。
 正しい手順で正しい食材を使えばそれなりの料理が出来ることを体験した一方、少し分かってくると、冷蔵庫の残り物で何とか料理をでっち上げる主婦の応用問題解決能力を改めて見直し、率直に評価できるようになった。
 女房との会話が増えたことも、料理の副産物である。結婚して三十数年もたつと、旅やゴルフの時でもなければ夫と妻との対話も途切れがち。それが来客の時ひとつの台所で、二人で工夫し助け合い、お互いの自慢料理を作ることで会話が弾む様になった。また習った料理を家で復習し、家族に食べて貰うと、特に家内が異常に「美味しい」を連発する。美味しいのは当然なのに、その異常さは又作らせようという魂胆がありありだ。しかし悪い気はしない。      (次号へ続く)

(初出:ナナカマド短信29号/2008年4月6日)

料理とフルート 後編

 ところでフルートと料理との関係である。
 ナナカマドの発表会が近づくと、メンバーの何人かが我が家に集まって、分科会と称した練習会を開く。四〜五時間練習した後は、習ってきた料理の復習を兼ねた御披露である。格調高い料理であれば、ホームパーティーを開いて振る舞うというのかもしれないが、私の場合は習いたての手料理を試食して頂くことになる。前の日迄にメニューを考え、気合を入れて買出しに繰り出し、下拵えをしておく。当日は練習開始前の時間を利用して作業に取り掛かる。
 限られた時間の中で考えたメニューを仕上げるには、かなりの集中力が要求される。頭の中で時間を足したり引いたりしながら手順を考え、同時にいろいろな作業を進めなければならない。余計なことを考えている余裕などない。野菜を刻みながら出汁をとり、煮物、揚げ物の火加減を見て洗い物もする。同時に仕上げるよう微調整しながら(本人はそのつもりだが、これがなかなか上手くいかない)他のことは何も考えず専念する訳だ。上手く仕上がれば気分もすっきりするので、この集中力がストレス解消につながっているのかも知れない。
 出来たての料理を食卓に運び、試食を兼ねた飲み会が始まる。ナナカマドの親しい仲間なので、御世辞、遠慮は無いのだが、大体は「美味しい」という声が上がり、料理と先程の演奏を肴に話が盛り上がる。コミュニケーションが深まる訳だ。
 料理もフルートも、創造力を養い老化を防いでくれる反面、素人が完璧を目指すと腰砕けする点で共通点があるように思う。イメージと違った味付け、食感の料理が出来上がってしまった時には、次回もう少しましなものを作ろうと頭の中でシミュレーションを繰り返す。創造力は否応なく掻きたてられ、これは何工程かの作業を同時にするという料理の特徴と相まって、老化防止にも大いに役立つ。毎回の反省が、レシピから発展した自分なりの新しい料理つくり、味つくりにつながるのではないだろうか。
 フルートも、イメージに向かって自分なりに曲を組み立て、いざ吹き始めると創造力が湧いてくるのが分かる。身の程をわきまえず、ひと味違った演奏、感情表現を求める思い入れが愉しい。譜を読み、指を使うことが老化防止に役立ってくれるのも有り難い。
 教室で習う料理に手抜きは無い。完璧を目指すと負荷も大きく、途中でお手上げ、腰砕けになりかねないと何時も感じている。冷蔵庫の残り物で作る主婦の料理ではないが、一つ二つ食材が足りなくても気にしないで走ってしまうことだ。フルートもより高きを求め努力しても、なかなか目指すところに辿り着けない。指使い、音作りに物足らない点があっても、吹けば楽しいのだから、決して無理をすることはない。
 料理とフルート、食べる人の立場、聴く人の立場になって無理なく精進することが、創造力を沸き立たせ、老化を防ぎ、腰砕けにならない決め手ではないのだろうか。

(初出:ナナカマド短信30号/2008年7月21日)


ウィーンフィルハーモニーのリハーサル

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 五月末一年振りにウィーンを訪れる機会があった。毎度のことながら、格安航空券と手狭な定宿との組合せだが、今回はひとつの初体験に期待しての出発である。
 自身が音楽監督をしているニューヨークフィルハーモニーを引き連れて、本年二月にピョンヤン公演をしたロリン・マゼールが、今度はウィーン芸術週間にウィーンフィルを指揮してペンデレッキの第四交響曲と、ブラームスの第二交響曲を演奏する。コンサートの本番と併せ、前日に公開されるリハーサルのチケットを、運よく確保できた。
 N響はじめ、日本の大半のオーケストラは、リハーサルを公開していない。世界有数のオーケストラのリハーサルとは一体どんなものなのか。指揮者はどのように団員に接し、パートの出来栄えをチェックしながら自分の音楽を作り上げていくのか見届けるのは、大いに興味がある。本番との聴き比べを楽しみに、先ずは会場の楽友協会に向かった。
 直前のリハーサルであれば指揮者がパート毎の仕上がりを確認し、気になる箇所をその場で指摘、修正し本番に臨むのだろうと勝手に思い込んでいた。しかし様子がだいぶ違う。楽団員がGパンにTシャツのような思い思いの服装で練習しているステージに指揮者がスタスタと現れ、一気に通して演奏しサッと引き上げてしまう。演奏に関するやり取りは何も無い。
 一方オーケストラメンバーは、自分のパートや隣のパートと、最終チェックのためか、演奏中に小声で話をしている者もいる。メモを取り交わしている者すらいる。やり方はどうあれ、リハーサルだって本番と同じクオリティで演奏しているのだ、という名門オーケストラのプライドか奢りか分からないが、聴き手に対しては失礼な話だ。なるほどこれは公開ゲネプロなのか、ということだけは分かってきたが、公開の目的・趣旨が今ひとつ分からないまま、その日はホテルに戻った。
 善意に解釈すれば、ウィーンフィルクラスのオーケストラであれば、超過密なスケジュールの中、演奏を公開する機会を少しでも増やし、多くの人に聴かせたいという考えがあるだろう。しかし一方では、これだけの名門オーケストラであれば、練習の公開でも銭が取れるという思い上がった考えなのだろうか。因みに同じ席ではなかったので分からないが、チケットも恐らく本番の七掛け位ではないだろうか。結構な料金を取っている。
 さて翌日の本番、気のせいかマゼールも前日に比べしっかりした足取りで登場し、団員も正装で正規のコンサートが始まった。ウィーンフィルの力量に加え、ホールの響きのせいか、圧倒的な音量と迫力である。とはいえ目をつぶって聴いている限りではステージは見えないので、昨日の私服、内緒話のリハーサルと全く変わらないようにも思える。
 ウィーン在住の音楽愛好家のブログによると、この愛好家も我々と同じパターンで二日間聴き比べをしたらしい。彼女の感想では、本番はリハーサルに比べテンポを少し速め、ブラームスの牧歌的な音色が響いてとても良い演奏だったと書いている。我々素人の聴き比べでは分からぬ微妙な評価をしていた。やはりリハーサルの後に、指揮者から本番に向けて、なにがしかのメッセージがあったのだろうか。
 東京に戻って、高校時代の友人(ニューヨークフィルでコントラバスを弾いている息子をもつ母親)に聞いてみた。海外の名門オーケストラのリハーサルというのは大体こんなものらしい。ピョンヤンではユニフォーム着用で、やはり前日にリハーサルをやったとのこと。本番時のTV中継が失敗するといけないから・・・・と息子さんが言っていたとか。
 今回の聴き比べ初体験の結果、ステージで何をやっていようと気にせず、目をつぶってリハーサルを聴くのが、コストパフォーマンスを考えれば一番お得な楽しみ方かな・・・・という結論に落着いた。ウィーンフィルのチケット確保は、なかなか難しい。質的に本番と変わらぬリハーサルで安く楽しめればよし、と割り切れればの話だが。
 機会があったら是非お試しの程を。

(初出:ナナカマド短信31号/2008年10月5日)


サインと握手

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 何時に始まったのかわからないが、家内はファビオ・ルイージという指揮者の熱烈なファンになってしまった。ルイージは1959年イタリアジェノバで生まれた。50歳に近く、指揮者としても脂の乗り切った年代である。現在ウィーン交響楽団の首席指揮者と、ドレスデンのゼンパーオーパーの音楽監督を兼ねて活躍している。
 私も何回か演奏を聴き、オーケストラの自主性を尊重しながら作品の魅力を引き出す堅実な指揮振りに、好感はもっていた。しかし小柄で地味な姿が、いまいちという思いなのに、家内のヒートアップは止まらない。今回のウィーン行きでは、ウィーンフィルの会員定期公演や、オペラ「トスカ」等手に入りにくいチケットを確保できていたのだが、それより心はルイージ様々。何故かルイージ特集となってしまっていた。
 前夜ウィーン交響楽団のコンサートマスター、アントン・ソロコフの独奏でチャイコフスキーのVCコンチェルトを指揮したルイージだった。次の晩は何と自らピアノを弾き、シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」を演奏した。楽友協会の小ホール、ブラームスザールの満員の聴衆を前にして。
 私たちの前の席に座った一人の日本人女性が、開演前に話しかけてきた。「鱒」はピアノと通常の弦楽四重奏の組合せでなく、コントラバスの入った四重奏なのだと話す。昨日の独奏者アントンは若干28才だが、将来有望な素晴らしいコンマスであるとか、指揮者ルイージは、バレンボイムに引けを取らない名ピアニストでもあるとか・・・・・。後に座った我々の話を耳にし、ルイージにのぼせ上がった音楽好きの日本人夫婦と分かって、声をかけてくれた様だ。
 彼女は日経新聞で音楽担当の記者を長いことされていたという。定年を迎え、今までの経歴を活かした仕事がしたく、ウィーンと東京に事務所を構えたと話す。東欧の優秀な若手演奏者を日本に紹介したり、真の音楽愛好者を対象とした日本からの少人数ツアーを企画していると語った。日本と東欧との音楽の橋渡し役をされているのだろう。
 家内がルイージの大ファンだと分かったので、「そんなに熱烈なファンなら楽屋に行ってサインを貰いましょう。彼もきっと喜びますよ」と言ってくれた。「鱒」の演奏が終わり、ルイージがアンコールにも応えてくれた後、私たち三人は関係者をかき分け楽屋に向かった。
 彼女が「ルイージがピアノを弾くと聞いて、わざわざ日本から来た、熱心なファンですよ」と紹介してくれた。ルイージが人懐っこい笑顔で家内と向かい合い、気軽に握手し、プログラムにサインしてくれた。「あなたの大ファンです。活躍を祈っています」と興奮気味の家内がたどたどしく伝えると、「どうもありがとうございます」と流暢な日本語で応えてくれた。
 暖かくやわらかい手だったと、家内の興奮は続く。何も掴まない内にと、まず握手したての右手の写真を撮る有様。
 夜も大分更けてきたのに、舞い上がってしまった家内の興奮は、とても治まりそうにない。ホテルに戻る途中のワインレストランで食事をしながら、クールダウンしてもらった。今日は私にとっても、楽友協会の楽屋をのぞくなど、貴重な体験ができたコンサートだった。
 バーンスタインが札幌で始めたPMA(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の指揮者として、ルイージが2007年夏から5年間振ることが決まっている。ウィーンに行くだけでなく、これからしばらくは、日本でも応援出来そうだ。

(初出:ナナカマド短信33号/2009年4月26日)




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