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| 私の練習法は目茶苦茶です。 レッスンをしていた頃、よく、 「無駄な音をたくさん吹いている人の方が、うまくなるよ」と言って、無駄な音を吹いて聴かせました。 レッスンに関係のない、勝手に長い、ピーイーイーとかプーとか、ピコピコとかピーヒーピー、或いは名曲のさわりの間延びした音。 目の前の教則本やエチュードに無い音形ばかり。私よりうまくなった生徒に何年ぶりかで会ったら、同じ事を言っていました。 「たくさん吹」かせるために、「無駄な音」に意識を向けさせるのです。言ってみれば、教える側のテクニックの一つ。 いま我が身を省みれば、無駄、目茶苦茶。それも唇の事ばかりで、指はほったらかし。 べーカーやランパルの日本公演のマネジメントをやった事があります。ランパルが言っていました。指の難しい箇所は練習しても、結局うまくいかない、と。ランパルでさえも・・・ましていはんやおいておや、です。 |
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| フルートは時間があって、気が向いたときに吹く。 例会の直前など、一つの曲を仕上げなければならない時を除けば、大概はその日の気分で、
吹きたい曲を、適当に吹きちらかし、興がのらなくなればやめる。 ただ、時々音色が悪くて我慢がならないような時もある。 そんな時には易しい曲でプロが演奏したものを聴いて、少しでも近づけようと真似をしてみる。 気に入っているのは小野田さんに教えてもらった「フローソの花」というスウェーデンの 歌曲集をG.マルカッソンが演奏したものと、 ドゥローエの「25の練習曲」をM.グロウェルズが演奏したCDである。 豊かな音色と音楽性を持つ彼らの演奏と比較しながら吹き進めていくと、 自分の貧弱な音色が少しずつ改善されていくのがわかる。 また、時々エチュードをやる。今取り組んでいるのはアンデルセンの作品15。指定の半分の速度で演奏するのが精一杯だが、 おかげさまで、最近わずかではあるが持久力がついてきたような気がしている。 |
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| 私がフルートを始めたのは、1950年代の中頃でした。音が出せるようになり運指も少し覚えてから先生について週に一度のレッスンを受け始めました。 間もなくG.ガリボルディ作品88の練習曲の勉強をしましたが、1番がすらすら吹けると次の回にそれを暗譜し2番に進み、次は2番を暗譜し先に進む、という方法で全20曲を終わらせました。 この時の経験で暗譜をする基本的な要領を習得できたと思います。 年に一度銀座のヤマハホールを中心に「おさらい会」という発表会を開いていました。 その会で吹いた曲はバッハ組曲2番からの抜粋、ソナタホ長調BWV1035、クヴァンツ協奏曲ト長調、シュターミッツ協奏曲ト長調、 シャミナード小協奏曲、二重奏曲はクーラウ作品102の1番、作品87の2番等、まだ数曲あったはずですが40年以上昔のことなので忘れています。 ソロの曲は全て暗譜で吹きましたが、中でも一番印象に残っているのは、別宮貞雄作曲「フルートとピアノのためのソナタ」(1954)でした。 私は暗譜をする時には音の流れを階名で頭に入れる方法をとっていますが、この曲は調子記号が無く、半分以上の音に臨時記号が付いていて、覚えるのに大変苦労しました。 その後二度と楽譜を開いたことがありません。私の持っている唯一写譜屋さんの手書きの楽譜です。 作曲家の作った音楽が暗譜をすると演奏者のものになると云われますが、私にはまだまだそんな境地に達する事は出来ません。 |
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| 「練習法は?」と問われると、これと言って自己流の練習法はありません。 先生の指導を受けていますので、前回のレッスン時に与えられた課題を、ただひたすら練習し、 次のレッスンまでに、不充分ながら備えます。 以前はまず初めにモイーズのソノリティーでロングトーンを吹いていましたが、最近は指を動かすための練習曲をしています。 次にエチュードの練習、曲の練習をします。時間がない時は、出来ない所を重点的に練習します。 ごく普通の練習法と思います。 先生には、「鬼の様に練習して下さい」とか、リズム音痴なので、「メトロノームと仲良くすること」を度々云われています。 私は速いリズムが不得手なので、メトロノームで追い込みが必須のようです。出来ないフレーズの練習方法も教えてくださいますので、繰り返し練習します。 具体的な指導をして下さる、先生にはいつも感謝しているのですが、なかなか小鬼にもなれない現状です。 もう一つ、練習時に気をつけていることは、音に適切な体の位置、音程、息の量、音色に気をつけて練習しています。 「上達」に近道はなく、緻密な練習あるのみのようです。私にとっての練習法は、まず基本練習で、 レッッスンで教えて頂いたことが全てのように思います。あまり先を急がず、目前の練習を楽しみながら吹いています。 |
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| 学生時代にフルートを始め、以来三十数年間同じ師匠から月一度のレッスンを受けている。「親しみ易い曲を豊かな音色で吹き、聴く人の心を打つ演奏をしなさい」というのが指導の基本。 それを徹底的に仕込まれ、それが現在の練習につながっている。 週日は職場で一時間の朝練が可能。練習のポイントは、ラッパを吹くつもりで腹の底から大量の太い息を吐き出すこと。 か細い綺麗な音は何とかなっても、太く大きい音は日頃の練習無しには絶対出ないと信じ込んでいる。また豊かで良い音を保ち、 更に向上させるために一番効果的なのは、毎日の継続的な練習だということも分かってきた。 人並みに新しい曲にも取り組みたい。しかしひとつの曲を繰り返し吹いていると、良い音を創るための新しい練習課題が次々と見つかるのが面白いし、 とても楽しい。その課題を解決しようとする意欲が、次の練習につながっていくような気がする。 大きな音で毎日毎日吹き続ける。しかもひとつの曲を繰り返し繰り返し。これが私の練習法である。 |
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| 大沢さんから来ないかと誘はれて国分寺の日本フルートクラブに伺ったのがご縁でお仲間に入れさせて頂きました。 私は行当たりばったりの人間で練習法は?なぞと聞かれると困ってしまひますが、一時、下のBから4オクターブのFまで各長短調の我流スケールを練習した事も有りましたが、今はそんな事に半時も一時間も掛けたら息は絶え々々目は眩み足腰が痛くて我慢できません。 又 トップバッター前座では唇や気持ちの準備が出来ない(何番目でも同じ?)と思ひ、今は行当たりばったりのぶつかり稽古です。 八十の手習ひ、若くて美人で優しくて厳しい先生に月一か隔月に通って居ますが、最初にビブラートを禁止されて以来ビブラートを着けられなくなり、裸の王様とは逆に恥ずかしくて何とも落着かず自信が無くなりました。テレビのN響アワーで「ピリオド奏法」でオケの全楽器がビブラート無しとか、途中から聞きましたので若し誰方かその事を詳しく聞いた方が居られたら教えて呉れませんか。 クラリネットではモーツァルトのクラ(協)クラ五重奏をノンビブラートで何とも言えぬ素晴らしい演奏を聞かせて呉れますが、フルートの場合はどうなのでせう。 人生八十二年 笛七十年 アア実に勿体無い事をしてしまひました。若い中に早く気付きもっと基礎を確実にやっておく可きだったと悔やまれます。 あと一、二年が良い所?出来不出来は別として、一生の思ひ出に吹いて置きたい曲が沢山有ると言ふのに・・・・ アア何共 残念 無念 皆さん前車の轍を踏むなかれ 念の為 変爺 |
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| 実家を離れアパート暮らしを始めてから、もうじき一年になる。その間、自炊したり、洗濯機の使い方を覚えたり、実家にいては自身でする機会のなかった家事の多くを体得し、長い目で見た人生経験として、大変有意義な日々を送ってきたと思っている。しかしその代償として、趣味に掛けられる時間が大幅に減ってしまったのは残念に思う。中でももっとも大きな影響を受けたのが、悲しいかなフルートの練習時間であるのだ。 実家にいた頃には、家事全般ほぼすべてを母に頼っていた。それが突然、すべて自身でこなさなければならなくなったわけだから、まず自由にできる時間が絶対的に少なくなった。またそれに加えて、いま住んでいるのは防音装備などないごく一般的なアパートである。隣人が友達でも連れてきていれば、壁越しにその会話が響いてくるような有様で、自室内で楽器の練習など始めようものなら、たとえそれが真昼間であったとしても、大家に苦情を入れられかねない環境である。その面においても、フルートの練習には不利な状況となってしまったわけだ。そんなわけで最近は、フルートの練習といえば、たまに実家に帰ったときと、月に1・2回小山先生のお宅で二重奏のレッスンをしていただいているとき、くらいのものになってしまっている。「私の練習法」という作文課題は、正直なところ今の私には少々荷が重い。しかもその作文が師の目にも入るのだと思えば、なおさらのことである。(先生、ごめんなさい…) かつて実家にいた頃は、いつでもフルートを鳴らせる環境があり、いろいろ考えながら自由に練習を楽しんでいた。親切で理解しやすい解説文が載っている教本(中でもトレバー・ワイの4巻が一番、読み物として楽しめた)を読んでなるほどと思ったこととか、フルート愛好家のブログで見かけた吹き方のコツのようなものとか、すぐに試してみることができた。もっとも鳴らしやすい頭部管の角度を探すためだけに、あれこれ試行しながら数時間かけたこともあった。自分で吹いた音をパソコンに録音して、解析ソフトを使い、(たまたま)きれいなビブラートがかかっている音と、そうでないものとの波形比較なんかもしてみたものだ。地道な繰り返し練習よりも、こういった比較・試行的な研究っぽいことばかりを好んでいたのだから、あまり真面目なやり方とは言えないように思うが、こういう志向も理系人間の性であろうか。それがフルートの上達に貢献したかどうかはともかく、この上なく楽しい時間だったことには間違いない。 二十年もの年月を過ごしたその実家の家屋は、道路拡幅に伴う区画整理のため、この数年以内に取り壊されることが決まっている。そのため、私は一足早く昨年からアパート暮らしを始め、両親はいま転居先とする物件探しにいそしんでいる。たまに実家に立ち寄ると、マンションやら分譲住宅やらの資料が山のように積み上げられ、あれこれ検討している様子を見かけることが多くなった。後学のためと思い、私もその資料を見せてもらって、図面の読み比べ方や価格の相場など、なるほどこんなものかと勉強(?)している次第である。いつか私にも、自分で住宅を購入するときがくるかもしれない。そのとき自分はまだ独りでいるのか、あるいはどんな形でか家庭を持っているのか、今の時点ではまったく予想できないが、いずれにしても、「遠慮なくフルートの練習ができる環境」だけは、譲れない条件にしておきたいものだと、最近そう、強く思う。 |
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| 1.熟達化 ここ1年ほど、放送大学院の科目履修生として老いの学びを始めていますが、その中に「認知過程研究」という講座があり、「熟達化」という研究領域に非常に興味を覚えました。そこでは熟達者と初心者の違いが述べられているのですが、実験が行われたのはピアノ演奏です。初心者は曲を正確に演奏することができるようになるのに多大な時間を必要とするが、熟達者は短時間で正確さを達成し、演奏のテンポアップも短時間で行われ、練習時間のほとんどは「曲の構造をどうしたら聴き手に正確に伝えられるか」を工夫するのに費やされ、演奏のテンポは「聴き手にとってどれが一番いいか」を考えて決められ、「自分独自のスタイルをどう出すか」を目指して練習が行われる、というのです。バイオリンのプロは5歳から15歳ぐらいの間に1万時間の練習をしているのだそうで、それは「熟達の10年ルール」と言われ、スポーツ、学問などの分野においても確認されているのだそうです。また「技術向上のための最適レベルの困難度」「練習の成果のフィードバックおよび自己評価」「本人のやる気」という特徴を持つ練習は「よく考えられた練習」と呼ばれ、これもスポーツなどにも当てはまるのだそうです。 なるほど!と手を打ち、通算20年を超える自分の練習時間を計算してみたところ、多めに見積もって5千時間程度になると分かりました。初心者と熟達者のちょうど中間あたりに位置しているわけですが、あと10年、何とか今のペースで練習を続ければ、1万時間でプロデビュー?・・・・はないですが、それなりのレベルアップができて難曲にも取り組めるようになるだろうか、というのが願望です。発表の場を求めて「ナナカマド」に出会い、練習を楽しむ姿勢もありますから、問題は何を練習するか、だと思います。 2.何を練習するか 参加しているアンサンブル・グループで毎回最初にタファネル・ゴーベールの音階練習をやっていますが、この練習のおかげで基礎をきちんとやっている気分になれるのはとてもラッキーだと感じています。そうそうやれるもんじゃない、というのが正直なところで、根気強さは筋金入りの私でも1人で続けるのは厳しい、すばらしい教材だと思います。 先日、レッスンを受けている先生の音楽院の発表会がありましたが、「ハンガリー田園幻想曲」を「この曲が好きで吹きたいから吹く」風の吹き方で強行突破した方がいて、ハラハラさせられました。この曲のファンは多く、よくある光景ではあるのですが、私は譜面にある音は全部丁寧に出そうとするので、こういう曲にはいつまでたっても取り組めない気がしています。がむしゃらに吹いてしまう人も多いのに、私がまだ吹いていないフルートの名曲・難曲・定番の曲がたくさんあります。練習1万時間をメドに何とか、と思うのですが。 3.腹式呼吸の人生 教員になって20年ほどは1クラス48人の生徒を前に大声を出さねばならず、喉から声を出すと通らないので常に腹式呼吸で授業をしていました。ここ10年ほどの間に少子化とともに相手にする生徒の数が減り続け、今はそんなにお腹に力を入れて大声を出す必要がなくなっていますが、20数年、ずっとレッスンを続けていて、基本的な吹き方であまり注意を受けることがなかったのは、「腹式呼吸の人生」のおかげかもしれない、と思っています。 4.雑多なCDの山 フルートで新しい曲を吹く時、譜面が読めないせいで曲のイメージをつかむのに大変な苦労をしなければならないので、まずはその曲のCDが出ているかどうかインターネットで探します。そんなことを繰り返しているうち、デイズニーなどポピュラー曲を含めてオムニバス的雑多なCDが山積みになってしまいました。「自分なりの音楽作りをするので他の人の演奏は聴かない」と言う人がいましたが、私はその考え方には賛成できません。猿まねも長く続ければいつのまにか人間に進化するかもしれないし、まず優れた演奏に感動してから、力量の限界に苦しみつつ自分の音楽作りをするのが5千時間の私にできることだと思っています。 今回発表するフルート四重奏曲4番も、昔からなじんでいるとはいえニコレは非常にゆっくりで重く、他のCDを聴いて、もう少しテンポアップするのが現代風かな、と思いながら吹いていました。フルートは一人で完結できない楽器であり、アンサンブル・グループと同様、CDにもいい音楽仲間になってもらっています。 |
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| フルートを日本版アルテ第一巻で本格的に習いだした頃(40年以上前のことです)は、せっせと音階とアルペジオの練習に励んだものでした。その頃からフルートの音にはとても聞こえないような音をまき散らしていました。特に比田井さんのアルテには、第一オクターブから第三オクターブまで、徐々に音質が変化しつつ、粒の揃った音がきれいに聞こえるのだ、と書いてあり、それをよりどころに個々の音を美しくすることなど考えず、ひたすら指が滑らかに回ることを追求したような気がします。 しかしある時から、痛切にいい音を出したくなりました。 始めて3年ほどの夏休みに、大学の海の寮にフルートを持参し、夜は雑魚寝の大部屋で昼に吹いていた所、となりで碁を打っていた年配の学生(らしき人)が、「ちょっと貸してくれませんか」といって小生の笛と楽譜でドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」を吹き始めました。その豊かな低音にはしびれました。彼曰く、「フルートの魅力は低音ですよ」。以来同じ思いを今日まで抱き続けていますが、未だに思うようにいきません。 アルテを習っていた時のフルートの先生は、国立音大出身の中学の先生で、プロフルーティストの悪しきイメージを植え付けてくれました。レッスンもいい加減、低音を含め、音に魅力のない人でした。一巻終了まで習い、次に通ったのが大学近くの尚美音楽院(今は東京ミュージック&メディアアーツ尚美)という音楽予備校みたいなところでした。運良くここでN響入団直後の石原利矩先生に教えて頂けることになりました。ここでアルテ第二巻終了まで教えて頂きました。石原先生には、プロのすごさを実感させられました。すでに経験済みの曲だったのかも知れませんが、クーラウの練習曲のどれであろうと即座に初見で吹いてしまうのが圧倒的でした。ただ石原先生の低音はご自分でも言っておられたように、いささか暗く、小生の理想とする倍音の乗った輝かしい音ではありませんでした。 石原先生は一年ほど教えて頂いた段階で、ウィーンに留学されることになり、そのあとの先生(名前を忘れました)も、残念ながら低音の魅力はありませんでした。ところがその先生の短期出張に伴う補講で来られた斉藤賀雄先生の低音はまさに小生の理想とするものでした。後に読売日響の主席になられた先生にはわずか2回しか習うチャンスはなく、そのとき低音の練習の仕方を聞いておけば良かったと悔やまれます。 というわけで未だに思うような低音を出せない小生がたどり着いたのは、トレバー・ワイ フルート教本1「音づくり」です。この6頁から14頁をやってみて、これが最も希望が持てそうだ、と思えるようになりました。 まず6-7頁のハーモニックスをやります。まず最低音CからEsの指で最高音のGからAis(小生はいつもAで出せなくなります)までハーモニックスを出していくと、高音に行くに従い、下あごが前方に突き出ることが判ります。これを終わると唇がかなり柔軟になっていて、準備作業として最適であることが判ります。 このあとが本来の低音の練習で、低音のHからのソノリテ式半音下降、ついでサンサーンス、ラヴェル、ドビュッシーの主題を借りての練習曲となっています。いずれも徐々に低音に向うメロディーとなっており、mfからfへとクレッシェンドするように要求されています。この最後までやると45分位は優にかかりますが、終わったあとは(時々ですが)少し充実した低音が出るようになることがあり、嬉しくなります。この「時々」が「常に」となるよう今後もこの方法を追いかけてみようと思っています。 |
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| 高校二年生と比較的遅くフルートを始めたのですが、ぐずぐずと吹き続けて、還暦も過ぎたので、もう40年以上吹いていることになりました。その間、休み休み三人の先生に教えていただきました。それぞれに教え方が違い、かつ私の吸収の悪い体質のせいか、まったく積み上げが出来ていません。 こんなことを並べていては練習方法にたどり着けません。本題に入りましょう。私の第一の練習のポイントを言うと、まずはじめに、大きい音を出すことです。まず中音域で大きい音、そして高音域、最後に低音域です。ただ、ここで問題があります。今住んでいるところは義経、那須与一など、源平の合戦の地として知られる屋島です。このPCをたたいている机からも顔を上げると屋島の平らな台地が見えます。大きめのアパートでその7階、三面に大きな窓があり、おかげでどの方向も他の建物にさえぎられることなく眺望抜群です。もう一面は廊下があるのですが、それでもその向こうに景色が見えます。ただ、台所なのでほとんど窓を開けて景色を眺めることはありませんが。夏の夕暮れには最上階なのでとても暑いのですが、高松の街の夕景を肴に美味しくビールを飲むことが出来ます。これはこのアパートの管理人さんが言うのですから間違いありません。ただ、ここでも問題が発生します。生ビールを冷やして一気に飲むのはいいのですが、エアコンをかけてしまうと、いまいち美味しさが失われます。やはりここは、暑さは我慢してトランクスひとつで飲むべきでしょう。しかし、こちらに来てもう5年になるのですが、まだ一度も試していません。まだ明るいうちにその格好でベランダに出る勇気はどうしても出てきません。 不動産のセールスみたいになりましたが、要するにここが高い場所でさえぎるものがなく、周りには多くの家族の方々が暮らしている、と言いたかったのです。そのため、どうも大きな音を出すことがはばかられます。自分で吹く場合が一番問題ですが、聞くことも好きなので、こちらも問題です。昔の現代曲(?)が好きで、〈懐メロのようなものです〉、リゲティーのロンターノやアトモスフィール、武満のノヴェンバー・ステップスなどを時々聞くのですが、常に音量を気にしている始末です。 で、こちらに来てからは出来るだけ近所に聞こえないような小さい音で、ささやくように吹く様になりました。といっても好きな曲になると、とたんにその制限を忘れて大きな音になってしまいます。特に、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲で、終わりのほうに、ファ・ファ・ファ・ファー、の音形で上のFの音を何度かくり返すところがありますが、ここを大きな音で吹くのが大好きで、つい夢中になってしまいます。少し以前の東京の例会で、この曲を、力いっぱいフォルテッシモで吹くためだけに、取り上げたことがあります。たぶん、聞いておられた方は「なにをこの人は力んでいるのか」と変に思ったことでしょう。でも、特にこの曲で力いっぱい音を出すことは、卓球やバトミントンでスマッシュを打つような楽しさがあります。もちろん、音が裏返ったり、しっかりした響きでなければ意味ないのは、スマッシュは決めなければ意味がないのと同じでしょうか。 このスマッシュの問題、ではなくて、大きな音で吹くことですが、ここのところ、小さな音で、やわらかく、澄んだ、なめらかな、と注意して吹いていて気がつきました。これをやっていると間違いなく下手になれます。音量の変化をだんだんつけられなくなります。その結果、小さな音ばかりではまるで音楽に聞こえません。ぜひ一度試してみてください。 |
更新 2009.3.6