我がフルート人生 今迄と今後

            (前編)

M  B

 フルート独奏団「ナナカマド」に、今年度から仲間に加えて頂いているMBです。

 大学生生活、サラリーマン生活合せて45年間、常にフルートと共に過ごしてきました。こんなに長く続いているが、今までどうしたいと思ってやってきたのだろう? そしてその思いは実現しているのか? この先どうしたいか? 63歳となった今、退職後の新たな生活の中でまだまだフルートを、そして音楽を友として人生を楽しみたく思っていますが、私のフルート人生の今までとこれからについて、かいつまんでお話したいと思います。
 今までを振り返ると、大きくは、
1. フルートを始めてからオーケストラを経験し無我夢中の大学時代の四年間、
2. 社会人になって初めの七年間の、フルート以外に忙しく目標のない中だるみの時代、
3. APAという音楽集団に入ってから今日までの、アンサンブルを食い散らかし気味ですが適度に楽しんできた時代
の三つに分かれます。
 さて、私は、中学生時代からずっとクラシック音楽が好きで、以来、見たり聴いたり奏でたりする事が、今迄の人生の中で随分と心の支えになってきました。
 フルートを始める切掛けは中学時代に有りました。中学時代から交響曲、歌曲、などが好きで当時珍しかったステレオを持っている友達の家でレコードを良く聴いていました。当時は、ハーモニカとスペリオパイプ(縦笛)が私の楽器でしたが、或る時、体育館で初めて聴いた生のオーケストラのフルートの音に感激し、自分も将来オケでフルートを吹きたいと心の中で思ったのです。高校では音楽クラブに入り、レコード鑑賞と混声合唱をやっていました。
 フルートを実際に手にしたのは大学1年の時です。大学入試に合格したら買ってやるという親との約束が現実になり、18歳で一番安い日管楽器製フルートを買いました。購入時に店員に「吹いてみて」と云われましたが、それまで吹いた事は無く、持ち方さえも知らず、取敢えず店員に教えられて頭部管だけ持って息を入れてみましたが、どんなにやっても全く音が出ませんでした。なのに、欲しい!の一念で楽器の良し悪しなど全く気にせず、有るとも知らず兎に角買いました。
 大学2年にオーケストラ部に入部しました。大学に入学して憧れていたオーケストラ部に直ぐに入る積りでしたが、音も出せないで入る訳にはいかず、秋頃までは下宿近くの神社の片隅で、一人で教本を灯篭に立てかけながら練習しました。で、入部したのは殆どの音が何とか出せるようになった、一年の終わりの頃と記憶しています。
 入部して驚きました。仲間の上手い事、凄い事。どの楽器パートにも、中学時代からオーケストラや吹奏楽をやっており、初見ですらすら演奏できる者が何人もいたのです。中でもフルートパートは、大学在学中に毎日音楽コンクールに入賞し、後に東京交響楽団のトップを30年も努めた佐々木眞先輩を頂点として、強者揃いでした。大学入学で初めてフルートを手にし、一年間独習して音が出るようになったところで部に飛び込んだ私とでは、指の速さ、タンギングの速さ、出る音の大きさなど、比べ物にならない違いがあることが日に日に明らかになって、入って数ヶ月は完全に萎縮してしまい、これから先がどうなるかとても不安でした。それでもオーケストラをやりたい一心で、部を去ろうとは一度も思ったことは無く、授業そっちのけで足繁く部室に通い詰め、意外と親切な仲間に助けられながら、皆に追い付こうと練習に熱中しました。
 プロの先生には、オーケストラ部に入部後二年間程習いました。橋本量至さんという当時京都市交響楽団のフルート奏者で東京芸大出の若くバリバリの方でした。楽器はハーンミッヒ製の銀で低音側で太くて豊かな音を出され、芸大ってやっぱり凄いところだなと感心した記憶が有ります。余談になりますが、高木綾子さんの経歴紹介文の中に、師匠の一人として橋本先生のお名前を懐かしく見ました。アルテの?巻とヘンデルやヴェラチーニの幾つかのソナタを習いましたが、上達の早い生徒では決してなく、先生をいらいらさせました。指がなかなか思うように動かなかったのです。トリルは特に嫌でした。また、低音域を鳴らすことが不得手で、これは安物の楽器のせいだと、自分の未熟さを棚に上げて楽器を逆恨みしました。
 そうこうしながらも、3年の終わりには、ベートーヴェンの第九でピッコロソロを吹き、卒業する4年までに、フルートパートのトップとして、定期演奏会でドヴォルザークの新世界、ベートーヴェンの第4シンフォニーなどを演奏しました。第9の頃から楽器はムラマツの総銀に変わりました。いずれの演奏会でも、演奏の緊張感から湧き上がる感動、舞台の上で演奏を終えて立ち上がり、万雷の拍手に応えている時の達成感と団員の一体感は物凄く大きく、それまでの苦労は演奏会を終える毎に吹き飛びました。オケをやって得られた素晴らしい経験でした。その他、数は少ないが学祭、入学式典などで、木管五重奏や、祝典曲なども演奏しました。
 さて、大学時代に個人として、どれだけ吹けるようになっていたのだろうか振り返ると、かなり寂しい話になってしまいます。オケ部内の恒例の卒業演奏会で、先述した佐々木先輩以外でもモーツァルトのニ長調、ト長調のコンチェルトを、部内オケをバックに見事に全曲吹く人もいましたが、私はそこまで出来ませんでした。実の所、指は遅い、舌はもつれる、トリルは不均一で、テンポの速い楽章を持つコンチェルトやソナタは苦手で、人に聴かせられる程にまともに吹けるレベルに無かったのです。在部中、緩徐楽章で音が綺麗だと言われるのが、周りからの唯一私への褒め言葉でした。それでもうれしかったですが。
 早い4年間が経ち卒業し就職しました。自信の無さも手伝って趣味としてのフルートを今後どうしたいというアイデアや目標を固められないまま卒業したため、古い京都から首都東京に出てきて目に飛び込む都会の様々な魅力や、大学とは全く違う職場の諸事に気を取られ、個人レッスンに付く訳でなく、何らかの音楽サークルに入る訳で無く、就職してフルートをさわる時間が大幅に減り、空いた時間に、プロの名演奏を聴いたり、幾つかの独奏曲の吹ける部分を一人で気儘に漫然と吹いては時間を浪費していました。アマチュアオケに入って大学オケの感動の続きを、とも一時は思いましたが、フルートの空きがあるオケがどこに有るか分からず、空いていても二番専任では厭、それに練習で毎週拘束されるのは厭、などの思いで入団のアプローチはしませんでした。
 それでもこの頃、人前で演奏する機会は皆無ではなく、会社内にも楽器をやる人が僅かだけれど散在していたので、たまに集まっては、フルートカルテットや、ギターを交えたアンサンブルなどをやったり、社内のダンスパーティーにバンドの一員として呼ばれて演奏したりしていました。出来が悪くても周囲の素人集団からの「上手いね」「いい音だね」などの世辞に惑わされて、いい気になっていました。そのせいで、大学卒業時からレパートリーこそ増えましたが、フルートの腕は、殆ど上がらなかった感じがします。真剣にもっと上手くなろうと努力する気にならなかった、目標の無い中だるみの状態でした。
 このようにして7年が過ぎた1974年に、全国組織の音楽集団APA(アマチュア演奏家協会設立準備会)が設立され、私は設立の翌年'75年に誘われて入会しました。アンサンブルを楽しむ例会が各地域に出来、会員同士で様々な楽器とのアンサンブルが始まりました。弦、管、ピアノなど様々な楽器とのアンサンブルは新鮮で楽しく、都内の幾つかの例会にいそいそと出掛けました。フルート主体の例会も出来ました。これは月一回のアンサンブル例会と、ほぼ年一度の独奏主体の発表会の形で随分と長く続きましたが、発表会は'88年の15回を最後に途絶え、例会だけが今も続いています。
 APAでの活動を以来34年間も長く続けているが、およそ35歳〜55歳の20年間は、仕事、子供の養育、親の介護などが優先したため、フルートに触るのは月に2〜3回、酷い時にはフルートのケースを開けるのは月1回の例会の時だけ、という状態が長期に亘って続きました。久し振りに楽器を持っても前回何を練習したのか思い出せなくて、自分でも情けなく腹立たしい思いをしたことが何度かあります。
 活動の途中かなりの中だるみ期間があったものの、APAのお陰で、色々なアンサンブル曲のレパートリーが格段に広がり、楽しんで来られて良かったと思っています。でも私が参加した殆どの例会では、曲をアナリーゼしてきちんと仕上げる事はしなくて、大抵は初見で曲が通ればそれで終わりとしていました。初見で合奏する緊張感と快い疲労感で十分に満足していたのです。お陰で初見には随分と慣れました。
 ここまでが、APAの活動で、多くのアンサンブル曲を適当に楽しんできたこれまでをお話しました。さて、ここからは、これからの想いについてお話をします。               (次号へ続く)

(初出:ナナカマド短信35号/2009年10月4日)

我がフルート人生 今迄と今後

            (後編)

M  B

 ここまでは、APAの活動で多くのアンサンブル曲を適当に楽しんできたこれまでを、お話しました。さて、ここからはこれからの想いについてお話をします。

 私は数多い名演奏家の中でも、特にランパル、ニコレ、デボスト、パユ、ゴールウェイ、グラフェナウアーのファンです。私が持っているこれらの演奏家のレコードは、どれも何度聴いても感動を覚え、飽きる事がありません。余談ですが、フィリップスから出ていたグラフェナウアーのCDが店頭から見られなくなって久しく、どうしたのだろうと気になっています。
 さて、アマチュアといえどもフルート吹きとして、このような人に感動を与えるような独奏演奏を一度でもいいからして見たい、出来る様に成りたい、或いは近づきたいという想いをずっと持っています。
 でも現実は、これまでアンサンブル活動ではそれなりに楽しい思いをして来た反面、独奏曲になると人前で指定速度に近い速さで最後まで止まらずに演奏できるレパートリーは、吹きたいと思って持っている楽譜の十分の一も無いし、それも発表会で未だ嘗て上手くできた例がありません。
 また、曲そのものを相当時間を掛けて練習しても、なかなか難所をクリヤーできません。更に不安を抱えた状態で舞台に立つと、決まって、途中でアドレナリンが溢れ出し、唇は震えパニックに陥り、頭の中が真っ白になってしまうのです。この残念な現実を解決する事と、プロの感動を与える演奏力とはレベルの違う話かもしれませんが、兎に角、この想いだけはずっと満たされていません。
 60歳還暦を迎えるあたりから、このままフルート人生を終るのは寂しいと感じ、再度デボスト、トレバー・ワイの演奏の基本に関する参考書、教則本を読んで見て、改めて自分が如何に基本が出来ていないか、一部には前より悪くなってしまっている事実を確認しました。長年アンサンブルの中で、大体出来れば良しとして来た姿勢がいけなかった、と反省しているこの頃です。
 殆どの演奏家、教師が、基礎練習としてモイーズの「ソノリテ」、タファネル&ゴーベールの「毎日の技術練習」を、最も必要なものとして薦めていますが、私は、それを真面目にやってきませんでした。ゆっくりした速度で始め、出来るようになったら速度を上げる、それを所定の速さまで繰り返すとか、全部の調性に変えてやるとか、様々なアーティキュレーションに変えてやれとか、練習の指示が盛り沢山でとても辛抱できないので、いつも出来るところだけをやって済ましてきました。
 更に、曲の練習方法で、悪い癖が付いてしまっています。難所にぶつかって止まってしまうと、止まって直ぐやり直しして次に向かって吹き進む癖です。止まらないで出来るように部分練習をしないものだから、何度やっても同じ箇所で止まる。反って、必ず止まってやり直すことを癖付けする練習をしている事になっています。この進歩を妨げる性悪な癖に気が付いたのは55歳位の時です。
 今思えば、先生についてしっかり診てもらっていれば良かったかなと思っていますが、この年になっては時既に遅く、おまけに年金暮らしになりその元気は出ません。でもやるべき事は分っているので、自分でメトロノーム、チューナー、レコーダーなどを使って、昨日よりは今日、今日よりは明日の一歩一本の進歩を信じて基礎練習を頑張り、独奏曲がもう少し自分で納得できるように吹けるよう頑張っていこうと思っています。
幸い、独奏団「ナナカマド」という、その精進具合を確かめる絶好の場を与えて頂いたので、私のフルートの寿命が尽きるまで、末永く仲間としてお付き合いいただければと思っております。
 今後ともよろしくお願い致します。

(初出:ナナカマド短信36号/2010年1月24日)


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