「ナナカマド短信」を読んで

前川 Y 

 いつも筒井様より「短信」をお送りいただき、楽しく拝読しております。
 メンバーの皆様の演奏会の感想や反省を読ませていただきますと、家族的で、各人のレベルに応じて曲目を選択し、練習に励み、発表会に臨まれる姿は楽しく羨ましいものがあります。一度御茶ノ水の会場で発表会を拝聴したことがあり、その時演奏者のちょっぴり緊張しながら楽しくやっておられた微笑ましい光景が思い出されます。その後も発表会を続けておられることは大変有意義なことです。
 発表会も、独奏・二重奏から全員合奏のフルートオーケストラが二回に一度位あると、更に楽しくなるのではないでしょうか。低音・打楽器が必要な場合は「トラ」を呼べば雰囲気が変わり面白いと思います。メンバーにはプロが居られますから選曲・編曲はお手のものでしょう。期待しています。
 「ナナカマド短信」のもう一つの楽しみに、メンバーの近況報告や小野田さんの随筆があります。小野田さんの随筆はフルートクラブ時代から連載されており、いずれも楽しく新鮮な話題でこちらも元気を貰ってうれしくなります。
 今後も回を重ね、ますます発展されんことをお祈りいたします。

(初出:ナナカマド短信14号/2004年7月4日)

続 稲穂の波

前川 Y  


 27回「ナナカマド短信」でMSさんが投稿されていました「稲穂の波」作曲者の福島弘和さんとの出会いの思い出があります。
 福島さんの経歴はMSさんが紹介されていますが、現在はオーケストラ、吹奏楽曲を中心に作編曲活動で、楽譜は各出版社より多数出版、また、演奏にパフォーマンスやコメディーをとりいれたアンサンブルボアールを結成し、ユニークな演奏活動を行っています。
 その彼が平成18年12月に三重県伊賀市の市民バンド(伊賀シンフォニックアカデミー吹奏楽団)(注1)40周年記念委嘱作品「風姿花伝」を書き上げました。これは、この楽団の正指揮者菅生和光氏(注2)とのつながりによるものと思います。
 「風姿花伝〜秘すれば花」でその作曲逸話を演奏会プログラムの中で紹介されています。氏は『平成17年初冬に伊賀を訪れ、作曲の題材探しをしました。いちばん印象に残ったのは忍者屋敷だったのですが、忍者をテーマにするのは大変そうなので、観阿弥創座之地の能楽舞台を思い出し、能楽を題材に作曲しようと色々調べているうちに「風姿花伝」という能の伝書、理論書を知りました。編集したのは観阿弥の息子、世阿弥ですが、それは、能の世界をはるかに超えた芸に携わるすべての人に訴えかけているような文でした。読んで感激した福島氏は、今回の作曲をきっかけにもっと自分なりに表現を工夫しようと思うようになりました。曲は文の内容を表現するのではなく、題名の文字「風」「花」の印象から始まり、後半は「能」の音楽から感じた事を表現しています。曲全体に「風姿花伝」の精神性を入れたつもりですが、「秘すれば花」を表現するのは一生の課題のような気がします』と述べております。
 この市民バンドに約30年前に所属していた私は、昭和54年東京転勤とともに退会し、その後準会員として関係がありました。昨年40周年とのことで久しぶりに郷里へ帰り演奏会を見てきました。その時、福島さんが「稲穂の波」と「風姿花伝」(初演)の2曲を指揮されました。
 演奏会後のレセプションにOBとして参加し福島さんとちょっとお話をしました。それは、演奏会の話ではなく、別のことでした。私は船橋市に住んでいますが、毎年2月「千人の音楽祭」が開催され、今年で第14回をかぞえています。数年前にその音楽祭のフィナーレを飾る音楽(注3)全体の編曲をやっていた人が福島さんと言っていたので、その人かと思い声をかけました。そうしましたら、自分はそちらへは行っていないとのことで人違いでした。しかし、新進気鋭の作曲者らしく自信に満ち溢れていますが、実に謙虚な態度に感心しました。福島さんとの出会いはそれだけですが、MSさんのお話のきっかけからご紹介しました。

(注1)伊賀ウインドアカデミー吹奏楽団は三重県では一番古い市民バンドであり、伊賀は戦後の日本吹奏楽界をリードしてきた広岡淑生(吹奏楽教則本著者)や福喜多鎮雄(旧海軍軍楽隊長)を輩出した故郷です。同楽団は地元に根ざした演奏活動を続けている。
(注2)菅生和光氏は昭和17年生まれで三重大学卒後県下の吹奏楽発展に貢献しており、日本管打吹奏楽学会、日本吹奏楽指導者協会の会員で東海吹奏楽連盟常任理事、三重県吹奏楽副理事長のほか、伊賀コミュニテイオーケストラ代表等で指揮者としても活躍中。
(注3)船橋千人の音楽祭は吹奏楽・マーチングバンド・管弦楽・ジャズバンド・三弦・合唱など船橋市在住の小中高校の学生から職場・一般市民までの演奏者が千人以上集まりそれぞれの分野で演奏し、最後に出演者全員合奏をして締めくくる音楽会です。

(初出:ナナカマド短信28号/2008年1月27日)

JFC名曲シリーズと私のレッスン

前川 Y  


 私とフルートの出会いは、昭和33年高校を出て、大阪で就職し、その年の暮れのボーナスとそれまでの貯金をはたいて、村松洋銀フルートを買ったことからです。それから、市販の教則本を見て我流で練習をはじめました。しばらくして少し吹けるようになるとフルート小品集を手当たり次第に吹いて悦に入っていました。三〜四年経ったころ、会社の寮にフルート経験者が入ってきて上手に吹けるにはアルテ教則本を勉強するのが良いとアドバイスされ、楽譜店で購入して練習(やはり独学?)しました。その後、仕事が忙しくなったことや会社に楽器をやる人がいないこと等でアルテ教則本1巻終了したところで休止しました。(会社では、コーラス部(テノール)に入りました)そのアルテ教則本でフルートクラブ会員募集があり、入会して会報と名曲シリーズの楽譜が手元に届くようになり、約40年間日本フルートクラブ(JFC)の世界のフルート名曲を購入(約二百点)し続けていました。
 その間、昭和54年東京へ転勤、翌年顔面神経麻痺になり治療しましたが、後遺症が残り、口笛も吹けなくなり吹奏楽器から引退せざるを得なくなり、現在に至っています。そのため、集めた楽譜は殆ど利用せず、「猫に小判」でどうするかここ数年考えていました。JFCが解散した後、「ナナカマド短信」がTIさんから送られてきて、その活動状況が報告されています。今年になって、熱心に活動されている仲間に利用していただくのが良いと思い、MZさんに引き取っていただくことにしました。楽譜は保存状態があまりよくないため、一部虫に喰われて欠けている部分がありますが、なんとか使用できると思いますので大いに活用していただきたいと願っております。
 さて、このようにあまり熱心に練習してこなかった私が痛感することは、何事も基本が大切でそのことをしっかり学ばないと応用が利かないことです。私の場合、フルートが最初吹けたため、教則本でいいと思ってやっていましたが、曲が難しくなれば満足にこなす事ができず、簡単なものに限られます。最初は、先生についてしっかり基本を身につけないといけないと思います。速いパッセージは勿論ですが、一音一音同じ大きさで低音から高音まで吹けなければ音楽になりません。最近の中学・高校の吹奏楽部では、指導者が唄うようにとか、感情を込めてとか云っているのを聞きますが、これも基礎が出来ているからできることです。パート練習でもメトロノームでしっかり速さを確認し、又、音程をチューナーでチェックしているのを見ると小生の時代と様変わりしていることがよくわかります。
 小生はスポーツも好きで高校時代陸上競技・会社時代は野球・バレー・硬式テニス・ゴルフ・ソフトボールといろいろやりましたが、専門家の指導を受けたことは殆どありません。いつも、見よう見まねでそれなりにこなしましたが、いざ本番の真剣試合になり強い相手には歯が立たないことが多かったように思います。今、クラシックギターを先生に習っています。月謝を支払い基礎からみっちり習っています。上達は遅いですが、我流にならず進歩すると思っています。いくら個人の楽しみとは云え、よい演奏がしたいものです。いつか、フルートの伴奏者(?)として登場できればと思っています。

(初出:ナナカマド短信30号/2008年7月21日)


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