私とレッスン

このページでは、フルートのレッスンに関するメンバーの感想等を紹介していきます。(掲載順)

# 01
K I
 年初に転居して以来、棚に収まりきらず、未だ部屋の隅に積み残されたダンボール箱のひとつに、使い古したフルート教本が何冊かしまわれている。ダンボールに残したままであることからも自明であるが、不勉強な私は今ではもうすっかり、これらの教本を開き練習することをしなくなってしまった。しかし、小学校も低学年の頃から大学を卒業するまでの長い間、通い続けたヤマハの音楽教室と、そこでKY先生にご指導いただいたレッスンの思い出とが詰まったこれらの本は、今でも、そしてこれからも、私にとってはかけがえのない宝物だ。
 「私とレッスン」という題目を受けた今回、これらの本を出してきて、久しぶりに開いてみることにした。中でも最も古びているのが、当然ながら一番初めに使っていた教本、日本フルートクラブ刊・アルテ教則本第1巻である。広げてみると、黄ばんだ紙面の上には、赤鉛筆で大きく記された○印と、息継ぎや付点音符の音価などに関する注意ポイントの書き込みが並んでいる。レッスンのたびに先生が記入してくださったものだ。○印は「この課題はいちおう合格」という意味合いで、○をもらえるときにはその都度、併せて日付を記入しておくよう勧めていただいた。いかにも小学生らしくアンバランスに歪み、かつ妙に力の入った文字で、「×月×日」と書き込んだ当時の私の拙い筆跡に、そんな場面を思い出させられた。
 日付の記入があるならば、一番初めの書き込みがいつだったかを知りたくもなるところだ。探してみると、1課の終わり、2課に移るところに、「87年3月16日」とあった。当時私は7歳だったことがわかる。そして情けないことに、その後の進捗状況が極めて遅い。週に1度のレッスンに通っているにもかかわらず、ひとつの課題に3ヶ月もかかることもあったようで、アルテ第1巻を完了した日付は「90年9月5日」とある。現在の私がこの教本の内容を難しいものとは感じない点を割り引いても、いくらなんでも遅すぎるように思う。期せずして、私がいかに練習しないダメ生徒であったかを証明するかのような記録を発見、再確認してしまったわけだ。
 自身の名誉(?)のために付け加えさせていただくが、ガリボルディ、ケーラーなどの教本を経て、高校生くらいになった頃の私は、かなりよく練習する生徒になっていたと思う。わりに早く課題をクリアするようになっていたし、何より笛の練習をすることをこの上なく楽しんでいた。大学受験期にも中断することなくレッスンに通い、やがて難関のアルテ第3巻にまで取り組むことになる。そして、その最終課題に合格をいただいた最後のページには、今の私とあまり変わらない筆跡で、小さく、「2001.2.14」と書き込まれていた。
 こうして振り返ってみると、先生というのは恐ろしく根気のいる仕事だろうな、ということを改めて思う。教える側の立場からすれば、アルテ1巻のやさしい課題のたった一つが、3ヶ月かけても仕上がらないような不勉強な生徒など、早々に投げ出してしまいたくなるところだろう。その方がお互いのためとなるケースさえ、あるかもしれない。だが少なくとも私の場合は違った。あれほどに練習しなかった生徒が、いつの頃からか、フルートを吹くことの楽しみを見つけて、今に至っているのだから。もし当時、早い段階で匙を投げられてしまっていたなら、私は生涯の楽しみの一つを、みすみす逃してしまっていたかもしれないのだ。
 継続は力なり、という言葉がある。何事も地道に続けていく中で培う経験が、その者の力を伸ばすという意味合いで使われることが多い。しかし、物事を「続けていく」こと自体にも、それなりの「力」が必要であろう。その意味での解釈が成立してもよいのではないだろうか。幼い日の私を温かく見守り、その「続けていく力」を支えてくださった、先生の「続けさせる力」があったからこそ、今日、私はフルートを楽しむことができている。そんな思いのもと、改めて師匠に感謝の意を表して、拙文の結びとしたい。

# 02
K Y
 私がフルートを習い始めたのは、今から55年ほど前の1950年代初めのころだった。
 その当時私は台東区の今戸に住んでいて、週一度家の前から都電、地下鉄、東横線に乗継いでレッスンに通っていた。その頃の東京下町はまだ都電が縦横に走っていた。地下鉄は浅草〜渋谷間の一本しかなく「銀座線」という名称もついていなかった。
 最初に手にした楽器は鍮に銀メッキの粗悪な物で取り扱いにも慣れていなかったせいか数ヶ月で音が出なくなった。次に購入したのは、村松製の洋銀でこれを二年程使用した後、先生の紹介で中古だったがセルマーの総銀を手に入れた。それから毎月積立貯金をして、三年後に念願のヘインズを買った。「良いフルートはこんなにも楽々と音が出せるのか」と感激したものである。
 楽器の習得は例えばスポーツ等と同じで、練習さえすれば誰でもある程度のレベルには上達すると思う。それ以上は、より努力するとか個人の才能等によるのではないか。
 私の練習方法(たまにしかやらないが)は、いくつかの音を選び、ppでロングトーンをする、音域いっぱいを使ってすべての長短(半)音階をスラーとスタッカートで吹く。
 フルートと共に50余年、何故これほど惹かれるのか自分でもよく解らないのである。
 
# 03
OT
 大学に入って二年ほど音楽教室に通って、アルテの二巻の半ばほどまで進んだのですが、そのあたりでいろいろ忙しくなってレッスンに通うのはやめてしまい、そのあとは時々取り出して我流で吹いていた程度でした。だから本会の発足時の呼びかけに応じて参加はしてみたものの、出て行くことにかなり勇気がいったことを覚えています。また、そのとき集まってきた皆さんの技量にくらべて、自分がかなり劣っていることはいやでも悟らざるを得ませんでした。
 とはいえ、その後何年間も例会に出るためだけに、自己流で曲をさらうことでお茶を濁していました。しかし、たまにうまく吹けたような気がしても、次にやってみると全然だめで、いっこうに進歩しているようには思われません。そこで今から八年ほど前になりますか、やはり基礎からやり直さなくてはなるまいと意を決して、たまたま見つけた音楽教室に通うことにしました。
 本来は毎週三十分のレッスンなのですが、通う時間も十分な練習の時間もとれないので、隔週一時間のレッスンをお願いすることにしました。先生に相談したところ、フルートにさわっていた期間は長いので、基礎から再スタートするよりも、いろいろ曲をやりながら修正していくやり方で良いのではないでしょうかということになりました。
 レッスンは、練習曲と独奏曲の二段構えでスタートしましたが、最近はそれに二重奏が加わっています。音の出し方や呼吸の仕方、それに音程にも問題があったので、はじめの頃はいろいろ注意をされました(もちろん今でも同じ注意を繰り返しされ続けているのですが)。しかし曲の選択に関しては、特にこれを吹きなさいと言う指図はほとんどありませんでしたので、私が勝手に選んだものを見ていただいています。
 私が素人であるということで、完璧に吹けるところまでは求められないことを良いことに、自分の技量ではかなり無謀ではないかなと思われるような、たまたまCDやコンサートで聴いて気に入った曲なども吹かせていただいています。そのため自分のひいき目で見て、どの曲も完成度はせいぜい六割止まりで、一応「まあ良いでしょう」とか「あとは速度を上げるだけですね」ということになって、次の曲に移っていってしまっているのが現状です。
 このように、次から次へと新しい曲を吹き散らかしている点は、自分がもう一段上達するためには、むしろマイナスになっているのではないか、と最近では少々反省しているところです。
 音楽教室なので、私の前後の中学生や高校生などのレッスンも垣間見る機会があります。ついこの間までたどたどしく吹いていた子が、いつの間にかモーツァルトのコンチェルトなどをそつなくこなしているのを聴くと、若い人たちの進歩の速さに驚かされるとともに羨ましく思うこの頃です。
# 04  (師匠との四十年)
TI
 うつむき加減に玄関のベルを押す。今日も練習が間に合わなかった。
 朝から続いたレッスンが押せ押せとなり、その日最後の私は、前の生徒が終るまで二・三十分待つことになる。充分練習ができていれば、目の前で続くレッスンを、余裕を持って聴くことができる。
「ここはちょっと違うな」「ここは真似したいな」と、自分で考えたことと、師匠の指摘とを重ね合わせるのだ。練習不足の時は、この待ち時間がつらい。言い訳を考えなければならない。
 大学で土木工学を学び、ゼネコンに入社。いきなり北海道支店の配属が命じられた。赴任前に、
「山奥の現場に行ったら寂しくなるから、何か楽器でもやるかな。フルートなんかどうだろう・・・・」
と、芸大の楽理科に進んだ、小中学同級の女の子に相談を持ちかけた。彼女は親身になってくれ、たまたま大学の教養課程が一緒だったフルート専攻の女性を、私が北海道に赴任する前に引き合わせてくれた。その引き合わせが、心から尊敬する師匠、三村園子先生との出会いとなったのである。四年経って東京に戻り、以来今も続く四十年近い師弟関係が始まった。
 レッスンの基本方針は、当時も今も全く変わっていない。
「豊かな音色で、聴く人の心を打つ演奏をせよ」
である。それは単純明快だが、極めるには奥が深く、難しい。生涯学習に相応しいテーマを与えられたと、いつも思う。
 師匠の指導は、長所を伸ばすことと短所をカバーすることとのバランスが、当を得ている。物事の上達は、強みを遮二無二伸ばせばよいというものではなく、また弱みだけをフォローすればよいというものでもない。そのあたりのメリハリが素晴らしい。
 どうしても直さねばならぬ所だけ、重点的・徹底的に修正し、あとは本人の持っている良いところを伸ばそう、という方針なのだろう。弟子に一つの方向を強要することなく、自由に吹かせ、自発性と個性を育てて頂けたのだと思う。「結局フルートは音色に尽きるのだ。あなたはそれに向かって進みなさい」ということを、常に教えられているようだ。
 仕事も遊びも忙しい中、フルートを生涯学習の核にしようと、懸命に練習してきた。練習の機会が多ければそれなりに上達する。そうなればやる気が出て、また吹きたくなる。正のフィードバックが、上手く廻り続けていたのだろう。
 四十年も経つと師弟関係も円熟期に入るのか、最近のレッスンは、世間話で始まる。「庭の柿の剪定は、どの時期どの様にすればいいのでしょうか。私にできますか」「天井裏でゴトゴト音がするけれど、もしネズミならどうしましょう」という、全く笛に関係ない話題が多いのである。
 レッスンでは、今後も、私がよい音色を保ち、末長く笛を吹き続けるには、どのような練習をしていけばよいか。それが中心になる。肺活量も筋力も、残念ながら着実に低下している。それらの対策として、正しい姿勢、横隔膜の拡大、腹筋の強化などの指導を受ける。
 まだ吹いていない名曲に取り組むことも勧められる。これは、「限られた人生、やり残したものは、今の内にやりなさい」という意味ではない。「まだまだ勉強することが沢山ありますよ」という励ましだと思っている。
 優しく大きな心で弟子を指導して頂ける師匠だが、レッスンは厳しい。毎回緊張と反省の連続で、終わるとガックリくる。そのあとは居酒屋に直行し、独りストレスを解消している。
 大好きなフルートを通じ、弟子で居られることの素晴らしさ。それを教えられた四十年であった。この素晴らしさを、末長く師匠と共有できれば嬉しい。

更新 2009.10.15