ローザンヌ便り





独 歩 羅

この内容は2000年3月から12月までの10ヶ月間の出来事です。

#1

(初出:ナナカマド短信1号/2001年3月1日)

 昨年、仕事の都合で三月から暮れまでの十ヶ月間、スイス、レマン湖畔のローザンヌに滞在する機会を得ました。この間ナナカマドの例会に参加出来なかったのは大変残念でしたが、フルートを趣味とする人間にとって、こちらでの生活もそれなりに有意義なものでしたので、これから少しずつそうした思い出話しを書いていこうと思います。

 ローザンヌでは町の中心近くのアパートに住んでいました。ベランダが南東に面していて、ここからレマン湖や雪を戴いたアルプスの山々がよく見えます。小さくではありますが、晴れた日にはモンブランの山頂やマッターホルンなども望見できました。このアパートは広くて住み心地も良いのですが、持ってきたフルートを吹いてみたところ、音を吸収するものが何もないので、ものすごく良く響きます。 で吹く練習のメリットをアドバイスしてくださる方も何人かいらしたのですが、結局は隣人に気兼ねして吹いていましたので、残念ながらフルートの腕前の方は日本を離れている間にいっそう落ちてしまったかと思います。
 そのかわりといってはなんですが、単身赴任で、仕事場に居るとき以外はすることもないので、せっせとコンサートに通おうと決心しました。スイスでは一般に夜七時になると商店はみんな閉まってしまうし、日曜日もパン屋以外は開いておらず、買い物もままならないのですから。
 こちらに着いて最初の日曜日、早速フルートのコンサートにありつけました。ローザンヌはそれほど観光客向けの町ではないので、見るべきところと言ったら旧市街のカテドラルとウシー地区と呼ばれるレマン湖畔にあるオリンピック博物館くらいのものですが、そのオリンピック博物館のオーディトリアムで毎月一回、日曜の朝に開催されているシリーズもののひとつでした。その日のプログラムは、ローザンヌのコンセルヴァトワールの先生をやっている女性のフルーティストとギタリストのデュエットで、ヴァンハル、カルリ、ピアソラなどの曲をやりました。小さなホールで、音響的にデットなのと併せて、フルートの響きが硬く、演奏に自由度が無かったのがちょっと残念でしたが、こんな簡単にフルートのコンサートに出会えたので、これからの滞在の幸先の良さに嬉しくなりました。


オリンピック博物館の入口


ローザンヌのコンセルバトワール

#2

(初出:ナナカマド短信2号/2001年5月18日)


春先の花



レマン湖のほとり
 こちらに来て三週目、ローザンヌのオペラ劇場でヴェルディのオペラ「リゴレット」が上演されることを知りました。実は私はこの時まで、オペラを観たことは一度もありませんでした。NHKの教育テレビなどで、薄暗い画面の中で、歌手たちが大きな声を張り上げているのを見ても、まったく興味が持てなかったのですが、リゴレットはぜひ一度観てみたいと思っていました。
 ドップラーがオペラの主題歌を元にした二本のフルートとピアノための変奏曲を何曲か作っていますが、そのどれもがとても魅力的なのです。自分ではとても手に負えないファーストを平岡さんにお願いして、四苦八苦しながら「夢遊病の女」変奏曲のセカンドパートを吹いたことがあります。恥ずかしい演奏でしたが、出てくるメロディーに酔って、自分なりに楽しめました。ドップラーのリゴレット変奏曲には、まだ挑戦したことはないのですが、そんなこともあって、フルートを吹くものとしては、原典であるオペラを観ておくのも必要ではないかと感じていたのです。
 チケットは売り切れでしたが、駄目で元々と、当日開演間際に直接劇場に出向いたところ、幸い潜り込むことが出来ました。一番高いチケットしか残っていなかったのですが、それでも、日本円で七千円程度です。オペラハウスの中の壁には「1918年にここでストラビンスキーの兵士の物語が創出された」というプレートが嵌っています。大きくはありませんが、なかなか由緒ある劇場のようです。
 オペラ界に関する知識は全くないし、オーケストラが地元のローザンヌ・シンフォニエッタとなっていたので、実は幕が開くまでは田舎芝居に毛の生えたようなものではないかと少し疑っていました。しかし、朝靄の中に棺桶が六つか七つ立ち並ぶ異様な雰囲気からスタートしたり、赤や黒を基調とした抽象的な書き割りが主体となっていたり、とても斬新な演出で、なかなか本格的なものでした。劇の展開が速く、息継ぐ間もなく、次から次へと素晴らしいメロディーが出てきます。リゴレット役のアントヌッチ、ジルダ役のモニカ・コロンナ、どちらも素晴らしい歌手でした。コロンナは声に憂いのあるソプラノで、床に寝ころんで歌うような場面でも、声量や声の質にほとんど変化がなく、フルートで寝たまま吹いたらまともな音は出ないだろうと思うと、感心させられました。
 幕間には、皆、バーで「ユンヌ・フリュット・シルヴゥプレ」といってシャンパンを買って飲みます。シャンパンを注ぐグラスをフルートというのも我々笛吹と何か縁があるのでしょうか。
 オペラが終わって、観客が散っていくときに夜の闇の中から聞こえてきたのは、なんとマントヴァ公爵の歌う「女心の歌」の口笛でした。ジルダが彼の身代わりになって死ぬという悲劇の結末を見たばかりなのに、身勝手な男ののんきな鼻歌のメロディーの方が、観客の耳に残っているとは。
 ということで、今まで食わず嫌いだったのに、どうやらこれひとつ観ただけで、オペラにはまってしまったようです。

#3

(初出:ナナカマド短信3号/2001年8月2日)

 スイスと言えばかつて指揮者アンセルメで鳴らしたスイスロマンド交響楽団を思い浮かべる人も多いかと思います。スイスロマンドの根拠地はジュネーブですが、ここローザンヌでもボーリュー劇場で定期演奏会を開いています。そのスイスロマンドとベルリンフィルの主席エマニュエル・パユーが競演する、というポスターを地下鉄の駅で見かけたので、これは逃す手はないと早速出かけました。曲はハチャトリアンのフルート協奏曲。ホールがかなりデッドなため、最初、鳴りが悪く、無理に吹き込んでいるなという印象でしたが、第三楽章のフィナーレではずいぶん盛り上がり、アンコールに応えてドビュッシーのシリンクスをやってくれました。パユーは神経質なのか傍若無人なのか、楽章の合間にブラスバンドの学生などがやるように、フルートに強く息を吹き込んで水切りをしていましたが、これをステージで堂々とやるのは、彼以外には見たことがありません。 
 さて次の週、なんと待望のベルリーニの「夢遊病の女」を、イベルドンという温泉保養地として有名な町で見ることが出来ました。ベンノ・ベッソンという名を冠した、田舎町の小さな劇場で、舞台は小学校の体育館についている舞台の半分もない位の小さなものですが、舞台下には三十名程度の楽団が入れるオーケストラボックスが付いていて、こんなところでもオペラって上演できるものなんだと驚いてしまいます。客席の数も三百弱でしょうか。
 ドップラーの二本のフルートのための「夢遊病の女」変奏曲には、副題に「アデリーナ・パッティの思いでのために」とありますので、彼はコヴェントガーデンでデビューして、一夜で有名になったパッティという十八歳のソプラノの舞台を見たことがあるに違いありません。ドップラーの曲は、主役のアミーナが夢遊病でさまよい出て、他の男のベッドで寝ていたところを婚約者に発見されて、貞操を疑われ、絶望して歌う、両者の二重唱から始まったように記憶してますが、吹いたことのあるメロディーが出てくると、それまでのスイスかどこかの山村でののどかな結婚劇といった、どちらかというと間延びした感じのオペラが、急に身近な物に感じられてきます。実際、ドップラーはこのオペラのアリアの素晴らしいところばかりを集めて、変奏曲に仕立てたのだと言うことが分かりました。
 今回の出演者たちは、前座オペラという名を冠していましたので、あまり有名ではない若手のグループだったと思うのですが、白いネグリジェをまとったアミーナ役のブリジット・ホールはほっそりしていて、清楚な感じだったし、歌もそれなりに楽しめました。また、合唱団のメンバーも、ひとりひとり役柄に徹していて、視線とか仕草が意味にかなったものになっているのには感心しました。表情を見ていても退屈しません。オペラって聴くものではなくて、生で見るべきものだなという実感を強くしました。

イベルドンの街角で

#4

(初出:ナナカマド短信4号/2001年11月21日)


メルシエ城の庭でのワイン試飲会
 三月の終わり頃、近郊のプロテスタント教会で催された、オルガン伴奏によるバッハのフルートソナタの演奏会を聴くことができました。背後上方にいる演奏者たちの姿を見ることができず、少々歯がゆいとはいえ、教会の中に朗々と響くバッハは、フルートとオルガンの音色が溶けあって、なかなか良いものです。
 今回の演奏曲数程度ですと、日本では間に二十分くらいの休憩が入るものですが、こちらでは全曲を一気に演奏してしまいます。このときも一番、三番、五番、六番を休憩なしで演奏し、ひと通り終わったところで拍手があり、アンコールに二番のシチリアーノをやりました。フルーティストはフィリオンという若い地元の人で、楽しめる演奏でした。こちらの教会ではこうした無料のコンサートが良く行われます。空き缶が巡ってくるので、若干のお布施は必要ですが。
 四月の末にはシエールという町の山腹に建てられたメルシエ城というところに出かけました。日曜日の昼前にここでフルートコンサートがあると聞いたからです。シエールはローザンヌの東約百二十キロに位置する、アルプスの北麓を東西に流れるローヌ河沿いの町です。このあたりを経由してロイカバードという山中の温泉に行ったこともあります。
 お城はいつ頃のものか知りませんが、明るいたたずまいで、色とりどりの花が咲き誇っている美しい庭園に囲まれています。中国あたりから渡来したと思われる藤の花も盛りで、懐かしささえ感じられます。また、写真でみるかぎり、往年のここの城主の奥方様やお姫様はなかなかの美人ぞろいです。
 コンサートはこのお城の中の二階回廊付きの、聴衆百人は入れない程度の小さな広間で行われました。リンゲンベルクという若い男性フルーティストと、ピニョレという中年婦人のピアニストのコンビで、どちらも隣町シオンのコンセルバトワールの先生です。コンサートには「鳥の肖像を描くためには」という洒落た副題がついていました。フランスの小学生なら必ず暗唱させられるプレベールの詩から採ったものと思われます。鳥にちなんだ、クープランの愛の鶯、メシアンの黒ツグミ、ダマレのオペラの鶯(ピッコロの曲)、ケーラーのツバメの飛翔などが演奏されました。とても達者な演奏で、瀟洒な曲を堪能できました。
 終了後にはなんとワインが振る舞われました。ラベルにかもめなど鳥の絵が付いているものを何種類か揃えてあって、趣向が凝っています。晴れ渡った初夏の青い空の下、すてきなフルート音楽を聴いて、お城の庭でワインを飲む。まさに天国です。しかもこれも入場無料。地元の音楽愛好団体の主催でしたが、こちらの人々の優雅な音楽の楽しみ方には日本人は太刀打ちできないなと感じ入りました。

#5

(初出:ナナカマド短信5号/2002年1月27日)

 五月半ば、ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」をローザンヌのオペラ劇場で観ることができました。「魔弾の射手」というと小学校時代、音楽鑑賞で「狩人の合唱」を聴いたり、「秋の夜半」を歌ったりした覚えがあるので、とても懐かしい感じがして楽しみにしていました。最上階のチケットをとったら何と スイスフラン、日本円で八百円程でしょうか。とにかく安く見られることも感激です。
 幕が上がって間もなく、突然大きな音で猟銃が火を噴きます。このとき、私は今まで全くの勘違いをしていたことを知らされました。「魔弾」というからには弾丸であって、銃を使うのが当然なのに、どうしたわけか弓で矢を射る話だと錯覚していのです。悪魔に魂を売り渡すおとぎ話が元になってますし、相当昔の、弓矢の時代の物語だと思いこんでいたからです。
 オペラそのものは、前記二曲からイメージされるものよりも、もっと魅力的な曲に溢れ、娯楽性に富み、また、生き生きとした、面白いものでした。普通の演出では、歌以外の劇進行に関わる部分は、コーラスのメンバーが受け持つことが多いのではと思うのですが、ここでは、最初から最後まで、声を出すことの全くない、大道芸人的な連中数人が舞台に出てきました。カスパールの魂を奪い取ろうとする悪魔の役で、舞台上でトンボを打ったり、口から火を噴き出したりのアクロバットをします。私の注意は音楽よりも、彼らの挙動に奪われてしまったくらいです。
 このオペラで一番喝采を浴びていたのは主役のアガーテよりも、コミカルなアリエッタを歌ったエンヘン役の歌手でした。オーケストラの中のフルートはなかなか良かったのですが、肝心のホルンには少々物足りなさを感じました。
 六月に入ると音楽シーズンは終わりを告げ、ぱたりと定期的な催し物が無くなってしまいました。日本から夏休みにヨーロッパに出かけても、こちらの人が日常楽しんでいる音楽というものには触れることはできないのではと思ってしまいます。おそらく演奏家たちは、避暑地でバカンスを楽しみながら、音楽祭などの催し物に参加しているのでしょう。
 ここ、ローザンヌの町でも、「シテ(旧市街)祭り」という入場無料の音楽祭的なものが七月半ばに一週間ほど催されました。会場は数カ所にわたり、さまざまなジャンルの音楽や劇、見せ物が行われます。出演者はセミプロクラスの連中なのでしょうか。私はカテドラルで行われたクラシックのコンサートに何回か通いました。
 夏休みになって、日本から家族が遊びに来たので、車でオーストリアのザルツブルクまで出かけました。ちょうどザルツブルク音楽祭の開催期間に当たっていて、ウイーンフィルのコンサートもあったのですが、ホテルで尋ねたところ、入手可能なチケットは家族四人で入るには高額すぎて手が出ません。映画サウンド・オブ・ミュージックでも有名な庭園をもつ、ミラベル宮殿での室内楽のコンサートでお茶を濁すことにしました。モーツアルトが御前演奏をしたこともあるといわれる宮殿の一室での室内楽は、音の響きすぎるのが若干難点でしたが、雰囲気があって良い思い出になりました。

ローザンヌのカテドラルの内部



ミラベル宮殿内のホール

#6

(初出:ナナカマド短信6号/2002年7月10日)


デザルプ祭りの牛の行列


グリュイエール城の門前


アヌシーの町
 九月の末、筒井夫妻が私の陣中見舞いに来てくださいました。アルプスのすばらしい景色の中をハイキングされたりして、存分に楽しまれた後、ローザンヌに寄ってくださったのです。折角の機会なので、こちらの音楽を聴いていただければと思ったのですが、ちょうど良いコンサートを見つけることができなかったので、偶々、市立オペラ劇場で行われた、「トスカの踊り」というバレーの催しにご案内しました。ちょうど、お泊まりになるホテルの向かいがオペラ劇場ということも好都合でした。開演まであまり時間がなかったので劇場連接のレストランでピザを食べたて腹ごしらえをしました。
 次の日はあまり天候が良くなかったのですが、チーズで有名なグリュイエールという村にご案内しました。ちょっとした丘の上に古いお城が建っているのです。高速道路を降りてビュールという町を通りかかるとき、牛の行列に出会いました。霧雨の中、牛たちは頬紅をつけたり、花飾りをして、一列になり車道をゆっくりと歩いています。対向車もその牛のスピードに従ってゆっくりとついてきています。これは、あとで分かったのですが、デザルプと呼ばれる、夏の間、山の上で生活させていた牛を、麓に降ろすときのお祭りなのでした。
 グリュイエールに着いて、お城の門前の食堂でお昼を食べました。スイス料理というとフォンデュが有名ですが、このときはラクレットという、チーズをヒーターで溶かして、ゆでたジャガイモに乗せて食べるというきわめて単純な料理にしました。
 ところで、私の好きなフランス料理というと、実はこのラクレットとシュークルート、それにクスクスの三つなのです。こういうと、ほとんどの人は、これらはどれもフランス料理とは言えない。ラクレットは田舎料理だし、シュークルートも酢漬けキャベツでどちらかというとドイツ系の料理であり、クスクスに至ってはアラブ料理ではないかといいます。しかし、この三つのどれかを時々食べることができれば、長期にヨーロッパに住んでいても、どういうわけかあまり日本食が恋しくならずに済むのです。
 筒井夫妻にも、ラクレットは気に入っていただけたようでした。筒井夫妻とは、翌日、フランスのアヌシーという、湖の畔にあるきれいな町をご案内したあと、ジュネーブに戻り、そこでお別れしました。
 さて、ついでなので、今回こちらで観ることができた、もうひとつのバレーについても書いておきましょう。ローザンヌというとバレーコンクールで有名ですが、これを観ることはできませんでした。しかし、この町には有名なベジャール・バレー団が本拠を置いています。もっとも本拠としているといっても、ローザンヌでの公演は五〜六月頃に一回と、暮れに一週間ほど掛かる程度のようですが。この、暮れの公演を、帰国直前に観ることができました。場所は、メトロポール劇場です。日本人のダンサーも団員として活躍していて、三人ほど出てきました。
 モダンバレーというのは日本では見ることは無かったのですが、クラシックバレーと比べて不満が一つあります。それは、伴奏音楽が生ではないということです。クラシックの場合には、踊りがつまらなければオーケストラの方に興味を移せばいいからです。といって、ベジャール・バレーがつまらなかったというわけではありません。一見の価値は有るのではないでしょうか。

#7

(初出:ナナカマド短信7号/2002年10月27日)

 ローザンヌにはローザンヌ室内管弦楽団(OCL)という中規模のオーケストラがあります。日本ではスイスロマンド交響楽団の方が知名度も高く、名の通ったソリストを抱えていますが、私はOCLの方により親しみを覚えました。こちらは、メトロポール劇場で定期的にコンサートを開いています。
 フルートはカステロンというリヨン管弦楽団から移ってきた比較的若い人が主席をやっています。日曜日にマチネとして低料金で行われる市民コンサートで、この人とクラリネットの主席のおじいさんをソリストとしたダンツィの協奏曲を聴いたことがあります。この二人、実に嬉しそうに楽器を演奏し、その表情からも音楽を楽しみながら演奏しているなと言うことが、ありありと見て取れます。音色もなかなか美しいですし、彼らのように演奏ができたらいいなと心から感じました。
 OCLは月に一回ほど水曜日の昼時にもアントラクト(幕間演奏)と称して、低料金コンサートを開催しています。気取らない客が多く、市民の中にとけ込んだオケとなっている点がすばらしいと思います。私も職場を抜け出して何度か通いました。
 九月のシーズンから前任のコボスに替わり、ザッカリアスというピアニストがOCLの常任指揮者に就任しました。これが、実にすばらしい。シューマンのピアノ協奏曲など、自分で演奏しながら指揮するのですが、天才肌で型破り。興に乗るとプログラムにない曲も始めてしまいます。指揮者がこの人に替わって、OCLのコンサートは毎回満席になってしまいました。
 十月末にジュネーブのコンセルバトワールでニコレを囲んだ、「音楽と社会」と題する数時間におよぶ入場無料の催し物がありました。スイスにいるフルーティストを中心とした座談会やコンサートです。ジュネーブのコンセルバトワールに潜り込んだのはこのときだけですが、趣のある建物で、催しは二百人程度入るすてきなコンサートホールで行われました。
 座談会では、何でみんなオーケストラをやめてフリーになるんだろうというニコレの質問に対して、パユーが、自由な時間が欲しいからだと答えていましたが、そのときはじめて、彼がベルリンフィルを退団して、ここの教授になっていると言うことを知りました。今ではまた元の職場に戻っているようですが。
 パユーをはじめ何人かのフルーティストのコンサートも聴くことが出来ました。フェリックス・レングリ、フィリップ・ラシーヌなど日本ではほとんど知られていないようですが、実に達者で、とてもすぐれた演奏家だと思いました。
 この催しでは、フルートの展示コーナーもあって、キングマ・システムのフルートを見ることが出来ました。複雑なキーがいっぱいついていて、完全な四分の一半音スケールでの演奏が可能とのことでした。恥ずかしくて試奏はできませんでしたが。
 ジュネーブに出たついでに、コンセルバトワール近くの楽譜屋に入ってみました。「アウロス・ムジカ」という名の店ですが、棚に楽譜を陳列してあるわけではないので、まず曲名を告げなければなりません。CDを聴いて吹いてみようと思っていた、ヴィヴァルディのフルート協奏曲が欲しいというと、引き出しの前に連れて行ってくれました。フルート楽譜の専門店でもないのに探していた曲がすぐに見つかったところからすると、ここの楽譜の品揃えはなかなか豊富のようです。

ローザンヌの市風景




ジュネーブのコンセルヴァトワール内のホール

#8

(初出:ナナカマド短信8号/2003年1月26日)
















オランピア劇場のネオン






ガルニエ宮のシャガールによる天井画
 十月に入るとまた、音楽のシーズンが戻ってきますが、私のローザンヌでの生活も終わりが近づいてきました。晩秋、フルートのコンサートはあまりありませんでしたが、モントルーのストラビンスキーホールで、ピッチニーニという女性フルーティストがカルガリ・フィルとイベールのコンチェルトをやりました。彼女がこれを暗譜でやったのには感心しました。
 面白いのは、やはりオペラです。ローザンヌのオペラ劇場では適当なオペラを上演しなかったのですが、普通のコンサート・ホールで一夜だけの上演をして次の町に移っていく、ドサ周りのようなオペラ劇団がいくつかやってきました。おかげでベルディのオセロ、ナブッコ、トラヴィアータなどを見ることが出来ました。トラヴィアータは一番前の席で見ました。若いヴィオレッタのスカートの中のスラリとした脚も見えて得した気分でした。たぶん他の席ではこうはいかないでしょう。しかし、指揮者の頭がじゃまになるので、幕間に少し後ろの空いた席に移動しました。
 オセロを上演したのはブルガリアのオペラ団でしたが、歌手たち(とくに合唱団)は少々くたびれた人たちが多いような気がしました。金管楽器もみるからにくたびれていて、ピカピカに光ったものなど誰も持っていません。東欧圏の経済事情を反映しているのでしょうか。しかし、どの楽器奏者もなかなか味わいのある演奏をしていて楽しめました。
 ローザンヌを発つ直前には、濃霧にもかかわらず速度を落とすこともなく時速百キロで走り続ける車の流れにのって、イベルドンのベンノ・ベッソン劇場に出かけました。演目はモーツアルトのコジ・ファン・トゥッテです。それほど面白いとは思いませんでしたが、隣に座ったイタリア系のおばあさんが話しかけてきました。何人かの歌手の言葉は理解できるのだが、若い女性歌手たちの歌う歌詞は自分にはほとんど理解できないというのです。イタリア語を母国語とする人にしてこれですから、私が何も理解できなくてもちっとも引け目を感じる必要はないんだという変な自信がもてました。
 さていよいよ帰国です。帰路はパリから飛行機に乗ることにしていましたので、クリスマスをそこで過ごしました。モーツアルトの魔笛がパリのオペラ座(ガルニエ宮)で上演されるという情報を仕入れて、ローザンヌから電話予約でチケットを取り寄せて出かけたのです。しかし、パリについてホテルで新聞を読むと、なんと肝心のオペラ座ではストをやっていて、少なくとも前日の公演はお流れになったとのこと。慌ててオペラ座の窓口に確認しに出かけました。私の予約日は翌日だったのですが、たぶんのその日にはストは解決しているだろうというチケット売り場の女性の話です。
 オペラ座を下見に行ったついでにマドレーヌ寺院の方へ歩いていくと、シャンソンなどのコンサートで有名なオランピア劇場があります。そのネオン看板に赤い文字でピエトラガラの名がでていました。前から一度見てみたいと思っていたモダン・バレリーナでしたので窓口に行ってみました。この日はクリスマスイブでしたが、その晩のチケットが残っているというので早速購入しました。
 もぎりの人にチケットを切ってもらい中に入ると、席の案内係がいます。案内してもらった礼儀で、一応チップを渡しました。よくよく見てみると、なんと座席には席番号がいっさい書いてありません。要するに入場料以外にチップを払わないと自分の席には座れないと言うシステムなのです。アメリカ人とおぼしき連中が、係に頼らずに席に着こうとしていましたが拒否されてしまいました。いままで案内嬢に席まで案内してもらったことは何度かありますが、強制的にチップを取られるというのは、ここオランピア劇場が初めてでした。
 翌日。クリスマスの夜はオペラ座の魔笛です。心配だったので少し早めに出かけました。幸いストは解決していました。私の席は前方右の列横に付いている補助席で、あまり座り心地は良くないのですが、並の値段でしたのでこんなものかと思いました。そしたら、イギリス人の老婦人が話しかけてきました。途中で抜けて、汽車に乗らなければならないので、端に座りたいから、席を交換してくれと言うのです。交換してもらった席は、なんと中程前から五列目ほどの特等席でした。おかげさまでガルニエ宮の豪華な魔笛を存分に楽しむことが出来ました。あとでパンフレットを読むと、この公演の総監督はベンノ・ベッソン、あのイベルドンの劇場にその名を冠している人物、のオペラ座での初演出とのことでした。何か因縁じみたものを感じました。
 これで、私のローザンヌだよりも終わりです。日本に戻ると、こんな音楽三昧に浸れる日々は夢のものとなることでしょう。 (完)